(再掲)戦後

戦後が変わるとしたら、多次元方程式の解を求めるよりも難しい状況になる。思考実験や数学の問題に相対するだけならばそれも愉しかろうが、計算や解法、方向性を少しでも間違えたら、その都度深刻な混乱と膨大な犠牲が発生する。価値や秩序のような抽象的な次元では話の済まない事態になるのだから当然である。まして戦後が終わるとしたら。

戦勝国によるババとお手盛りが消える。消えたら仕切も難しくなる。ババお手盛りを焼き直し、作り直して仕切り直しても、まずしくじる。不幸にも幸せだった、否、おめでたい戦後は不幸な終焉を迎える。戦後、何も考えて来なかったのだから仕方がない。掛け値なしの不幸が到来する。戦後が今後も続く保証はなく、そのための条件も消滅しつつある。内にも外にも問題は山積している。

問題の山間、谷底深いところで永遠の命と無限の繁栄をむさぼる進歩が傲慢の謂であり、倨傲の所産であったことに気がつく人々が出てくるだろう。そこで跼蹐、鬱屈、内向に転じ、迷妄が蔓延り出すことは目に見えている。それを乗り越えてこその霊長類であり、それを乗り越えねば先の大戦も終わらない。戦後が終わらねば大戦は終わらない。「もはや戦後ではない」とは全く次元の違う話である。

※以上、二代目「一筆箋」最後の投稿[2022年 4月 6日(水)23時29分43秒 ]をここに掲げる。

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